HISTORY本多プラスの歩み
当社は時代に呼応した新しい価値を提供したいという想いから、『一代一事業』をテーマにした会社経営を目指しております。
愛知県新城市を拠点とし、ダイレクトブロー成形技術をコアとする本多プラスの歩みをご紹介します。
1946
MAY
台湾でお茶・紅茶の事業を行っていた本多正造(本多プラス創業者)が、終戦直後、出生地の愛知県新城市にて本多セロファン工業所を設立。
台湾にて撮影された本多一家。右から二番目が現会長の本多克弘。一番左が、超音波機器の本多電子 創業者である本多敬介氏。
台湾での生活の様子。
1948
MARCH
愛知県新城市東郷村川路にてアルミ銀箔、ならびにセロファン加工を軸に本多工業所として創業する。
1955
MAY
セロファン加工による毛筆用サヤ(実用新案)、ケース、帽子のあごひも、代用ガラスの製造販売を開始。
高級筆の産地である愛知県豊橋市、広島県熊野町ほか、全国の筆さやを一手に製造販売していた。
創業当時の従業員と。中央が本多正造。